小林秀雄里見弴太宰治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)
小説「津軽」の中で「日本の或る五十年配の」「神様、といふ妙な呼び方をする」作家についての批判を書いている。直哉は雑誌の座談会で、太宰の「斜陽」について、貴族の娘の言葉遣いに閉口したと発言。これを受けて太宰は「如是我聞」で「おまへの『うさぎ』には『おとうさまは、うさぎなどお殺せなさいますの?』とかいふ言葉があった筈」と反発した。これは随筆「兎」の中の末娘貴美子の「飼ってしまえばお父様屹度お殺せになれない」の不正確な引用で、直哉は「如是我聞」を読んだ貴美子を「お殺せにならないで少しも変じゃない」となぐさめた。直哉は随筆「太宰治の死」の中で「私の言った事が心身共に弱っていた太宰君には何倍かになって響いたらしい。これは…太宰君にとっても、私にとっても不幸な事であった」と、太宰を批判したことに対する後悔の念を表している。
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