小松神社 (羽生市)とは? わかりやすく解説

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小松神社 (羽生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 04:18 UTC 版)

小松神社
所在地 埼玉県羽生市小松280
位置 北緯36度09分22.8秒 東経139度31分38.1秒 / 北緯36.156333度 東経139.527250度 / 36.156333; 139.527250 (小松神社 (羽生市))座標: 北緯36度09分22.8秒 東経139度31分38.1秒 / 北緯36.156333度 東経139.527250度 / 36.156333; 139.527250 (小松神社 (羽生市))
主祭神 伊弉諾命伊弉冉命、小松大明神(平重盛
社格 郷社
創建 景行天皇の御代?
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小松神社(こまつじんじゃ)は、埼玉県羽生市神社

歴史

景行天皇の御代に創建された。日本武尊の東征の途上で、伊弉諾命伊弉冉命の2柱を祀るを建てたという。その後も平貞盛藤原秀郷源頼信などの武将が当社に参拝したという[1][2]

承安年間(1171年 - 1175年)、平重盛熊野白山の両権現を当社に勧請した。重盛の死後、家臣の平貞能は重盛の遺骨を携えて当社のそばに葬り、菩提を弔うために「小松寺」を創建した[1][2]

1554年天文23年)、羽生城城主木戸忠朝は社殿を修築し祈願所とした。しかし羽生城の落城に伴い、当社も衰微してしまった。ちょうどその頃、兵火の難を逃れて避難していた正覚院の長雅は、この小松社寺の衰微を嘆き、中興した。この縁により、小松寺は正覚院の末寺となった[1][2]

明治初期の神仏分離により、小松寺は廃寺に追い込まれた。小松寺の僧侶還俗して当社の神職となった。1873年(明治6年)、近代社格制度に基づく「郷社」に列せられた[1]

文化財

  • 小松神社算額(羽生市指定有形文化財 昭和44年3月20日指定)[3]
  • 木造十一面観音坐像(羽生市指定有形文化財 昭和56年6月29日指定)[3]
  • 木造阿弥陀如来坐像(羽生市指定有形文化財 昭和56年6月29日指定)[3]
  • 朝鮮使節来朝(羽生市指定有形文化財 平成元年7月11日指定)[3]
  • 小松神社本殿(羽生市指定有形文化財 平成28年3月25日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、958-961p
  2. ^ a b c 小松神社埼玉県神社庁
  3. ^ a b c d e 羽生市の指定文化財羽生市

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



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