対アルバニア、コソボ関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:17 UTC 版)
「北マケドニア」の記事における「対アルバニア、コソボ関係」の解説
北マケドニアには、人口の2割から3割程度のアルバニア人が居住しており、アルバニアおよびコソボを巻き込んでの大アルバニア主義の伸張は国土の統一を脅かす問題として警戒されている。1997年の暴動で混乱状態に陥ったアルバニアでは、コソボ独立を求めるアルバニア人武装勢力「コソボ解放軍」が拠点を設け、人員を集め、また軍施設から略奪された武器を集めていたと考えられている。コソボ紛争が終わると、その武器と人員の一部がマケドニアのアルバニア人武装勢力「民族解放軍」にもたらされたと考えられている。このようなことから、アルバニアおよびコソボの安定は北マケドニアにとって死活的な問題となっている。 マケドニアは、2008年2月にコソボが独立すると、10月に同国を国家承認した。2009年には両国間に外交関係が樹立された。
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