寶川石五郎とは? わかりやすく解説

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寶川石五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 09:25 UTC 版)

寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年文化13年〉[1] - 1858年8月26日安政5年7月18日〉)は、雷部屋に所属した元力士[2]大坂相撲時代には朝日山部屋、東京へ移行してからは粂川部屋にも所属していた。


  1. ^ a b 文化15年説もある。西暦換算では1817年1月、1818年説もある。
  2. ^ a b http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3362&l=j
  3. ^ この場所では他に谷嵐市藏、増位山岩之助(後の大関・境川浪右エ門)も7勝を挙げたがいずれも2敗している。
  4. ^ この場所で7勝1敗1休1分の成績を挙げた雲龍久吉(当時東前頭3枚目。後の第10代横綱)が優勝相当成績。他に当時西前頭3枚目の六ツヶ峰岩之助(後の大関・境川浪右エ門。先の増位山岩之助と同一人物)も7勝2敗の成績を挙げている。
  5. ^ 歴史群像~描かれた肖像 - おおいた情報大事典大分朝日放送2010年6月5日放送。
  6. ^ 添田日誌ペリー応対・地誌。「物品ノ内米弐百俵船中ヘ被遣(つかわさる)。此持込応接場ヨリ波止場迄持運ビヲ相撲力士共御呼寄セ命セラル。」とあり、当時の幕内力士が総出で、200俵の米俵を黒船に積む任務が課せられていた事が分かる。尚、寶川は当時西前頭6枚目だった。
  7. ^ a b 眠るは江戸相撲の権力者たち・南蔵院(相撲記念館・史跡案内)
  8. ^ 古今大相撲事典(ISBN 978-4336018786)より。このコレラでは、稀代の浮世絵師だった歌川広重も命を落としている。
  9. ^ 寶川石五郎江戸東京博物館・収蔵品


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