寒河江孝広
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寒河江 孝広(さがえ たかひろ、旧字体:孝廣)は戦国時代の武将。寒河江氏15代。寒河江城主8代。
- ^ 「安仲坊系譜」
- ^ 『安中坊系譜』「寒河江市史 大江氏ならびに関係史料」p.104、楯岡満茂の祖父。
- ^ 『寒河江大江氏』p.97-98
- ^ 寒河江市史編さん委員会,2001,pp.701
- ^ 「安中坊系譜」『寒河江市史 大江氏ならびに関連史料』p.104
- ^ この偏諱・任官の申請は将軍義稙は拒否する意向であったが、高国の判断で認められ、後日両者の関係を悪化させる一因になった(浜口誠至『在京大名細川京兆家の政治史的研究』思文閣出版、2014年、P227)
- ^ 山野辺夫人の名がこの頃出てこないことから、子などがなく影響力が皆無であったと思われるが寒河江氏は最上氏側に付いている。
- ^ 「伊達正統世次考」高屋修理亮、高屋宮内少輔広春、郷目右京進、富沢太郎三郎、安彦薩摩、安彦内匠助、鈴木讃岐。
- ^ 『寒河江市史 上巻』pp.714「天文本大江系図」
- ^ 大沼大行院系図『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』p.198
- ^ a b 胡偉権「山形最上氏と中野氏・寒河江大江氏―義光のゆかりを探る」
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「寒河江孝広」の続きの解説一覧
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- 2 寒河江孝広の概要
- 3 周辺系図
- 4 関連資料
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