宮田 竜介
宮田龍介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 06:57 UTC 版)
みやた りゅうすけ 宮田 龍介 | |
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生誕 |
1914年2月2日![]() (現・新見市) |
死没 | 不明 |
国籍 |
![]() |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
職業 | 実業家 |
肩書き | 三光正宗2代目社長・会長 |
子供 | 宮田廉吾(3代目社長) |
親 |
|
家族 | 宮田恵介(孫:4代目社長) |
栄誉 | 三木記念賞(産業分野) |
宮田 龍介(みやた りゅうすけ、1914年(大正3年)2月2日[1] - 没年不詳)は、日本の実業家。民間企業に勤務した後、父である宮田重五郎が創業した宮田酒造場を相続し、宮田酒造を設立。その後、社名を三光正宗へ変更し、同社の社長・会長に就任する[2]。1991年に岡山県三木記念賞を受賞。岡山県新見市出身[3]。
経歴
生い立ち
1914年(大正3年)、岡山県阿哲郡哲西町矢田(現:新見市哲西町)にある宮田重五郎の長男として出生する[3]。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には、九州耐火煉瓦(現:黒崎播磨)代表取締役・会長になる塩田卓爾がいた。1931年(昭和6年)同校を卒業し、岡山にある旧制第六高等学校文科乙類へ進学する[4]。1934年(昭和9年)に同校を卒業し、東京帝国大学法学部へ進学する。1939年(昭和14年)3月に同校を卒業した。
実業家として
卒業後、地元の新見へ帰省し、民間企業に就職後、1943年(昭和18年)に父・重五郎から家督を相続し、宮田酒造場を受け継ぐ[5]。第二次世界大戦後、1952年(昭和27年)10月1日に宮田酒造株式会社を設立する。1955年(昭和30年)9月には、荻野酒造を吸収合併、1963年(昭和38年)7月 には内藤酒造場を吸収合併し、販路を拡大していった[2]。また、1967年(昭和42年)10月には、社名を現在の三光正宗株式会社に変更し、ブランド化に成功した。
宮田は、先代の積極路線を継承して、近隣の酒蔵を相次いで合併して事業を拡大し、1979年(昭和54年)65歳の時に社長を宮田廉吾(3代目)へ事業を承継する。その後は、三光正宗会長として経営をサポートするとともに、産業を通じて地域社会の発展に貢献した。これが評価され、1991年(平成3年)に岡山県三木記念賞(産業分野)を受賞している[5][6]。
脚注
- ^ 日本金融名鑑 1980年版 下 日本金融通信社, 1979.11
- ^ a b “SANKO MASAMUNE 1973”. SANKO MASAMUNE 1973 (2024年3月29日). 2025年2月15日閲覧。
- ^ a b 日本金融名鑑 1989年版 下巻 日本金融通信社, 1988.10
- ^ 第六高等学校一覧 昭和6年至昭和7年 p.142, 第六高等学校 編, 昭和6年
- ^ a b 同族中小企業のコーポレートガバナンスと事業承継*─清酒製造業の事例─ 京都産業大学経営学部教授, 中井透著
- ^ 岡山県三木記念賞受賞者一覧表
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