宮田町 (下関市)とは? わかりやすく解説

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宮田町 (下関市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 01:31 UTC 版)

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宮田町
宮田町
北緯33度57分43秒 東経130度56分49秒 / 北緯33.96194度 東経130.94694度 / 33.96194; 130.94694
日本
都道府県 山口県
市町村 下関市
面積
 • 合計 0.166444km2
人口
(2015年)[1][注 2]
 • 合計 1,101人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
750-0002
市外局番 083
ナンバープレート 下関

宮田町(みやだまち[2])は山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0002[3]。当地域の人口は2015年の国勢調査によると一丁目は363人で世帯数は195、二丁目は738人で世帯数は316、合計して1101人で世帯数は511[1]

地理

下関市の南部に位置し、北東部で本町、北西部は一部で貴船町、西部で幸町、南西部で赤間町中之町、南部で阿弥陀寺町と壇之浦町と隣接する。

歴史

宮田町は昭和29年(1954年)に新しく制定された町丁であり、元々は関後地村の一部であった[2]。宮田という地名は元々この土地が亀山八幡宮神田であったことに由来する[2]

沿革

  • 貞応元年(1222年)貞応寺が建立される(のちの勝応寺)。ただしこのときの宗派や開基などは不明である[4]
  • 天正?年(16世紀末期)越後守元久が僧、竜呑を招き廃寺となっていた貞応寺を再興させ、勝応寺に改称。また、このとき黄檗宗に改宗した[4]
  • 昭和29年(1954年)関後地村から新しく成立[2]
  • 昭和39年(1964年)宮田町が一丁目と二丁目に細分化される[2]

地域区分の変遷

  • 昭和39年(1964年)関後地村、赤間町、園田町(現在の本町付近)、幸町から一部を編入[2]

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

町丁 番地・号 小学校 中学校
宮田町一丁目 1番1~7号 下関市立名池小学校 下関市立名陵中学校
1番8~15号、2~15番 下関市立養治小学校 下関市立日新中学校
宮田町二丁目 全域

施設・史跡

脚注

注釈

  1. ^ 宮田町1丁目と2丁目の面積を合計して計算。
  2. ^ 宮田町1丁目と2丁目の人口を合計して計算。

出典

  1. ^ a b c 人口統計ラボ 山口県下関市”. 2020年1月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹発行、1988年、807、808頁。
  3. ^ 山口県 > 下関市の郵便番号一覧”. 日本郵政株式会社. 2020年1月25日閲覧。
  4. ^ a b c 下関市市史編集委員会『下関市史・終戦―現在』下関市発行、1989年、673、674頁。
  5. ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2020年1月25日閲覧。



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