宮本常一と離島振興法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:32 UTC 版)
軍事要塞であった対馬は長い間開発が抑制されたため、本土より数十年遅れているといわれていた。戦後、民俗学的調査のため対馬を踏査した宮本常一は、厖大な民俗記録を記すいっぽう、あまりの開発の遅れに胸を痛め、離島振興法を制定するために奔走した。1953年(昭和28年)、長崎県知事の呼びかけにより東京都、新潟県、島根県、鹿児島県の知事が共同して「離島振興法制定に関する趣意書」を作成するなどの運動を展開し、同年7月、離島振興法が時限立法として成立した。
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