安福寺 (葛飾区)とは? わかりやすく解説

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安福寺 (葛飾区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/16 16:25 UTC 版)

安福寺
所在地 東京都葛飾区西水元1-7-19[1]
位置 北緯35度47分0.7秒 東経139度50分58.6秒 / 北緯35.783528度 東経139.849611度 / 35.783528; 139.849611 (安福寺 (葛飾区))座標: 北緯35度47分0.7秒 東経139度50分58.6秒 / 北緯35.783528度 東経139.849611度 / 35.783528; 139.849611 (安福寺 (葛飾区))
山号 龍灯山[2]
院号 権現院[2]
宗旨 新義真言宗[2]
宗派 真言宗豊山派[1]
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 不詳
開山 龍演[2]
札所等 武蔵国三十三ヶ所霊場16番札所[1]
法人番号 7011805000334
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安福寺(あんぷくじ)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派寺院

概要

創建年代は不明であるが、1622年元和8年)の飯塚村検地帳[注釈 1]に存在が記されているので、江戸時代初期には既に存在していたと推測される[4]

夕顔観音

当寺に安置されている「夕顔観音」は、かつては江戸名所の一つとして有名だった[注釈 2]。元々は、地元の名主である関口家[注釈 3]の自宅近くの観音堂に安置されていた[注釈 4]明治時代に関口家は没落し、また夕顔観音の人気も失ったことで、1893年(明治26年)に観音堂は廃堂、夕顔観音は最終的に関口家菩提寺の安福寺に安置されることになった[4]。葛飾区指定有形文化財[6]

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 下総国葛鹿郡葛西庄飯塚村御検地水帳』[3]
  2. ^ 江戸名所図会』に記述あり[5]
  3. ^ 『新編武蔵風土記稿』に「舊家者隼太郎 氏を関口と称し世々名主を勤む」と記述がある[2]
  4. ^ 『新編武蔵風土記稿』「観音堂 夕顔観音と号す(中略)隼太郎の持也」[2]

出典

  1. ^ a b c 猫の足あと
  2. ^ a b c d e f g 新編武蔵風土記稿 飯塚村.
  3. ^ 葛飾区史 村の成立と検地
  4. ^ a b 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年、104-106p
  5. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 278, 280–282.
  6. ^ 葛飾区史 葛西領の流行神

参考文献

  • 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年
  • 「飯塚村 安福寺/観音堂」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ26葛飾郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/33 
  • 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 夕顔観音堂」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、278,280-282頁。NDLJP:1174161/144 

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