安田幾久男とは? わかりやすく解説

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安田幾久男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 13:29 UTC 版)

安田 幾久男(やすだ きくお、1900年4月7日 - 1978年2月19日)は、日本実業家日本軽金属社長を務めた。

経歴

石川県金沢市出身[1]1924年東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士電機製造に入社[1]

1939年日本軽金属に転じ、1946年5月に取締役に就任し、1953年には副社長に就任[1]1961年5月には社長に昇格した[1]1967年5月に会長を経て、1969年5月に相談役に就任[1]経済団体連合会理事、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任[1]。。

1957年紺綬褒章を受章し、1958年藍綬褒章を受章し、1970年4月に勲二等旭日重光章を受章した[1]。。

1978年2月19日心筋梗塞のために死去[2]。77歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1975, や50頁.
  2. ^ 1978年 2月20日 読売新聞 夕刊 p9

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。 



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