安田家・みずほフィナンシャルグループとの関係
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「肥後銀行」の記事における「安田家・みずほフィナンシャルグループとの関係」の解説
1925年(大正14年)肥後協同銀行が設立され、それから2年後に昭和恐慌が起きた。もともと前身の3行とも不良債権を抱えており、それを償却するため資金不足に陥った。そこで増資の引受を安田銀行に求めたことが、安田財閥との関係の端緒となった。以後、肥後銀は2代から4代までの頭取を安田家から迎えた。また、現在も研修派遣等の受け入れでみずほフィナンシャルグループとは、親密な関係にある。 戦前に存在した、第六国立銀行を前身とする肥後銀行とは直接は無関係であるが、この銀行は後に安田系銀行大合同に伴い安田銀行の熊本県および鹿児島県内の店舗となった。また、一部の整理店舗の受け皿として当の肥後協同銀行に譲渡されたケースも存在した。
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