守山八幡宮 (伊豆の国市)とは? わかりやすく解説

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守山八幡宮 (伊豆の国市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 02:58 UTC 版)

守山八幡宮

鳥居(左に源頼朝挙兵之碑)
所在地 静岡県伊豆の国市寺家1204-1[1]
位置 北緯35度2分45.7秒 東経138度56分18.6秒 / 北緯35.046028度 東経138.938500度 / 35.046028; 138.938500座標: 北緯35度2分45.7秒 東経138度56分18.6秒 / 北緯35.046028度 東経138.938500度 / 35.046028; 138.938500
主祭神 誉田別命大山祇神木花開耶姫命
社格 式内社
村社
創建 647年大化3年)
例祭 10月10日付近の日曜
地図
守山八幡宮
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守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は、静岡県伊豆の国市にある神社狩野川を挟んだ西方・江間地区にある豆塚神社と共に、式内社である石徳高神社(いわとこたけじんじゃ)の後継神社の1つであり、源頼朝が挙兵に当たり平家追討祈願をした神社としても知られる[2][3][4]

概要

伊豆の国市(旧韮山町)の寺家(じけ)地区の西部、願成就院をはじめとして周辺に北条家源頼朝関連施設や、室町時代の伝堀越御所跡などが集中する守山(もりやま)の山中に鎮座している。

境内は2段構成になっており、石段を上がってすぐの場所には舞殿・拝殿があり、そこから更に急な石段142段を上がった先に、本殿・拝殿がある[3]。下の舞殿では、毎年10月の例大祭でしゃぎり・三番叟が奉納される[5][6]

歴史

創建は647年大化3年)であり、大山祇神を祭神とし、後に式内社となる石徳高神社であったとされる[2][4]

907年延喜7年)、豊前国宇佐神宮より八幡神を勧請・合祀し、守山への遷座を経て守山八幡となる[2][4]

1180年治承4年)8月、源頼朝が平家追討を祈願して挙兵、配下数十の兵が(後の韮山代官所に程近い)山木兼隆の館を襲撃、火煙が上がるのをこの地から眺めていたとされる[2][3]

現在の本殿は、1632年寛永9年)に久能城主・榊原照久によって造営されたものとされる[2][6][7]。(それ以前のものとしては、韮山城主・内藤信成による1597年慶長2年)の棟札も伝わっている[7]。)

舞殿は、1934年昭和9年)に建てられた[5][6]

祭神

境内

  • 本殿・拝殿
  • 舞殿・拝殿
  • 源頼朝挙兵之碑
  • 鳥居

脚注

  1. ^ 守山八幡宮 - 静岡県神社庁
  2. ^ a b c d e 境内由緒書き
  3. ^ a b c 守山八幡宮 - 伊豆の国市観光協会
  4. ^ a b c 守山八幡宮 - 伊豆駿河観光ガイド
  5. ^ a b 守山八幡宮と例大祭 - 伊豆の国市 都市計画課
  6. ^ a b c 韮山・大仁地域の神社の祭礼と三番叟にみる歴史的風致 - 伊豆の国市 都市計画課
  7. ^ a b 北条の里と旧下田街道に見る歴史的風致 - 伊豆の国市 都市計画課

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