守光院とは? わかりやすく解説

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守光院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 04:32 UTC 版)

守光院
本堂
所在地 埼玉県さいたま市南区太田窪5-11-9
位置 北緯35度51分20.5秒 東経139度40分38.8秒 / 北緯35.855694度 東経139.677444度 / 35.855694; 139.677444座標: 北緯35度51分20.5秒 東経139度40分38.8秒 / 北緯35.855694度 東経139.677444度 / 35.855694; 139.677444
山号 護國山
院号 守光院
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
創建年 治承4年(1180年
開基 佐々木守綱
中興年 安土桃山時代
中興 大雲文龍
文化財 銅造阿弥陀如来立像(さいたま市指定有形文化財)
公式サイト 守光院オフィシャルサイト
守光院
守光院 (埼玉県)
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守光院(しゅこういん)は、埼玉県さいたま市南区にある曹洞宗寺院

歴史

1180年治承4年)、佐々木守綱の開基である。守綱は宇治川の戦いにおいて先陣争いを繰り広げた佐々木高綱の兄である。源頼朝の挙兵の際、守綱は当地において援軍となるべき坂東武士を集めていた。撤収の際に「護国山守綱院」と称する寺を創建した。これが当寺の起源である[1][2]

その後、安土桃山時代に大雲文龍によって中興された。文龍は国昌寺出家し、後に国昌寺第2世住職となった。また文龍は書家でもあり、後陽成天皇後水尾天皇より紫衣と仏日金蓮禅師号を授かっている[1]

慶安年間(1648年 - 1652年)、時の将軍徳川家綱の「」の字を憚かって、「守院」から「守院」に改称した(避諱[1][3]

文化財

  • 銅造阿弥陀如来立像(さいたま市指定有形文化財 昭和33年3月31日指定)[4]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c 守光院トップページ守光院
  2. ^ 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年、56-58p
  3. ^ 谷田地区自治会連合会さいたま市南区自治会連合会
  4. ^ 銅造阿弥陀如来立像さいたま市

参考文献

  • 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年

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