宇遅部黒女とは? わかりやすく解説

宇遅部黒女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 00:40 UTC 版)

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宇遅部黒女(うじべ の くろめ、生没年不詳)は、奈良時代の女性。武蔵国豊島郡(現在の東京都千代田区中央区港区台東区文京区新宿区渋谷区豊島区荒川区北区板橋区練馬区あたり)の人。

上丁(かみつよほろ)[1]の椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)の妻。天平勝宝7歳(755年)2月、夫荒虫が防人として筑紫に派遣された際、多摩の横山[2](現在の東京都多摩市府中市にある丘)にて「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」万葉集20-4417)という歌を詠んだ。

脚注

  1. ^ 律令制において課役を負った成年男子を指す。
  2. ^ 武蔵国から相模国に向かう道にある。

関連項目

参考文献

  • 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。
  • 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。
  • 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年。




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