学校法人久我山学園とは? わかりやすく解説

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学校法人久我山学園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 14:31 UTC 版)

学校法人久我山学園(がっこうほうじんくがやまがくえん)は、かつて東京都杉並区久我山に存在した学校法人久我山大学國學院大學久我山中学校・高等学校の前身である久我山中学校・久我山高等学校を経営していた。

沿革

  • 1942年(昭和17年) - 岩崎通信機社長岩崎清一によって学校建設が開始される。
  • 1944年(昭和19年) - 財団法人岩崎学園が、久我山電波工業専門学校(電波兵器科・機械科)・久我山中学校(旧制)を開校。両校は同じ敷地内にあった。
  • 1946年(昭和21年) - 久我山電波工業専門学校は、久我山工業専門学校に改称。電波兵器科を電気通信科と改称。電気科・化学工業科を新設。
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により久我山中学校は、(新制)久我山中学校・久我山高等学校となる。
  • 1949年(昭和24年)3月20日 - 財団法人岩崎学園は、財団法人久我山学園に改称。
  • 3月25日 - 大学設置認可。
  • 4月1日 - 久我山工業専門学校を母体として(新制)久我山大学が開学。学生は第一学年(新入生)約100名、第二学年(久我山工専から移籍)約40名。
  • 5月 - 久我山大学開学式を挙行。
  • 9月2日 - 久我山工業専門学校第二種が、電気事業主任技術者資格検定規則第15条の規定による認定学校となる[1]
  • 1950年(昭和25年) - 久我山大学は、学生募集を停止。
    • 11月 - 久我山大学を廃止。在学生がどのように処されたかは不明。
  • 12月28日 - 久我山大学廃校が、文部省により認可。

脚注

  1. ^ 同日、通商産業省告示第75号



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