子孫たちの所領争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 07:01 UTC 版)
嫡子である伊東祐家が早世するなど後継者に恵まれなかった彼は、後妻の娘(連れ子)の子を、家督を継がせるために工藤祐継として養子とし(その実父は祐隆本人だったともされる)、本領である伊東荘・宇佐美荘を与える一方、伊東祐家の子である嫡孫の伊東祐親(河津氏の祖)には河津荘を与える形で、領地を分割継承させる措置を採った。 しかし、この措置に不満を覚えた伊東祐親は、工藤祐継の死後にその領地を奪取。それを恨んだ工藤祐継の子である工藤祐経が、今度は伊東祐親の嫡子・河津祐泰を射殺。それに対して、河津祐泰の子どもたちが、『曽我物語』に描かれる曾我兄弟の仇討ちを行うことになるなど、報復の連鎖を生むことになった。
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