姉の淑子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:42 UTC 版)
海江田は直情的な性格であったが、姉の淑子はそれに輪をかけた気丈な性格で「女将軍」と兄弟からあだ名されていた。俊斎時代、ペリーの来航に憤激し、淑子へ「もしかしたら戦端が開かれよう。決死の覚悟で戦い再びもどることもないのでこの書が決別になる止むしれず」という悲壮な書簡を送った。対して淑子の返事は「自身戦死するというが、わずか数隻の船を相手に戦うのが、堂々たる大丈夫が命を捨てるに値するのか。器量が小さい。夷敵の首級数個を土産にかえて家人にあい見えよ。」という激烈なもので、海江田も感嘆するばかりだった。
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