中院通秀とは? わかりやすく解説

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中院通秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 09:40 UTC 版)

中院 通秀(なかのいん みちひで)は、室町時代中期から後期にかけての公卿歌人准大臣中院通淳の長男。初名は通時。官位従一位内大臣十輪院内府と号す。弟に歌人として高名な肖柏がいる。日記『十輪院内府記』の記者として知られる。


  1. ^ 久我通博の末子
  2. ^ 通淳が権大納言を辞したことによる挙任である。
  3. ^ 源氏公卿としては前参議北畠教具が代わって権中納言に任ぜられている。
  4. ^ 神木が洛中に持ち込まれ藤原氏公卿が出仕できなかったため。
  5. ^ 『実隆公記』によれば文明13年1月8日条に通秀が従一位を望んで勅許があった旨の記事がある。さらに『十輪院内府記』文明13年1月8日条によれば、前日7日に申し入れていた従一位昇叙の件について勅許があったと記されている。しかし同時に任内大臣の申し入れに対しては、中院家からの内大臣が中絶しているためすぐには難しいとの仰せがあったとある。
  6. ^ 『実隆公記』文明13年1月8日条によれば、中院家では従一位で大納言に在任した例がないことから、従一位に叙せられると権大納言を辞すことになった。
  7. ^ 所労危急によって内大臣に任ぜられることを望み、内大臣に任ぜられるや辞した。しかし内大臣を辞したあとに病は平癒したのである。
  8. ^ 『実隆公記』文明15年10月6日条。
  9. ^ 『実隆公記』文明17年3月16日条。
  10. ^ 『実隆公記』文明17年3月25日条。中院家では四代にわたって中絶していた内大臣に任ぜられたことが記されている。
  11. ^ 『実隆公記』文明17年3月27日条によれば、四代の中絶の跡を受けて内大臣に任ぜられたのに丞相の位にあること3日で辞したのは不思議であると記している。
  12. ^ 『実隆公記』文明17年4月7日条。
  13. ^ 『十輪院内府記』文明15年4月30日条。


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