妙光寺開山そして西方寺 示寂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:35 UTC 版)
「心地覚心」の記事における「妙光寺開山そして西方寺 示寂」の解説
1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 - 1305年)は円爾の示寂後、無本覚心を京都洛東勝林寺に招いて、問法した。亀山上皇は離宮を改めて禅林禅寺(後の南禅寺)にしようと、無本覚心を開山に招請したが、無本覚心は既に高齢であったためこれを辞退した。その後、無本覚心は徒弟らと西方寺(現・興国寺、和歌山県日高郡由良町)に帰った。そして1285年(弘安8年)、無本覚心が79歳の時、内大臣花山院師継が長男の追修のため、京都洛西にあった自身の別業(別荘)を無本覚心を開山に迎えて、妙光寺とした。 1298年(永仁6年)10月13日、九十二歳で示寂した。 亀山上皇、後醍醐天皇より法燈(ほっとう、ほっとう)禅師、法燈円明国師と諡(おくりな)された。瑩山紹瑾(1268年 - 1325年)ら、多くの曹洞宗の僧らと交渉をもったため、その密教化に影響を与えたとされる。
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