大龍院 (名古屋市)とは? わかりやすく解説

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大龍院 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 23:09 UTC 版)

大龍院
山門(2013年)
所在地 愛知県名古屋市北区光音寺町2-73
位置 北緯35度12分29.1秒 東経136度54分12.8秒 / 北緯35.208083度 東経136.903556度 / 35.208083; 136.903556座標: 北緯35度12分29.1秒 東経136度54分12.8秒 / 北緯35.208083度 東経136.903556度 / 35.208083; 136.903556
宗派 真言宗醍醐派
創建年 1395年(応永2年)
法人番号 6180005001532
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大龍院(だいりゅういん)は、愛知県名古屋市北区にある真言宗醍醐派の寺院。

歴史

応永2年(1395年)11月、当地の村瀬氏から出た修験者が一宇を建てて不動明王を安置したのが始まりとされる[1][2]。後になって秋葉三尺坊を祀るなど長らく修験の道場で[1]江戸時代には犬山城主で尾張藩家老を務めた成瀬氏など武士からの篤い信仰を受けた[1][2]。1868年(明治元年)に神仏分離令が発布されたのち、1872年(明治5年)に修験道が禁止されたため、1873年(明治6年)より醍醐派に属している[1]。1891年(明治24年)10月28日に発生した濃尾地震で倒壊の憂き目を見たが、1893年(明治26年)10月に再建された[1]

古文書での言及

郡村徇行記の光音寺村の条において以下の記述がある[3]

秋場宮界内三畝御除地、一畝廿三歩村除、修験大龍院宰之、此秋場ノ像ハ、応永年中ノ比、濃州高洲清宝院天元ト云修験、遠州秋葉山ヘ七十七度参詣ノ上授リ、宝永六丑年霊夢ニ因テ此地ニ安置スト也

脚注

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  1. ^ a b c d e 北区誌(1964)、P.118
  2. ^ a b 北区の歴史(1985)、P.72
  3. ^ 尾張徇行記 第三巻(1976)、P.15

参考文献

  • 北区役所教育課 編「北区誌」北区役所総務課 発行、1964年6月3日
  • 名古屋市蓬左文庫『尾張徇行記 (第三巻)』 愛知県郷土資料刊行会 発行、1976年3月20日(復刻版)
  • 長谷川國一「北区の歴史」愛知県郷土資料刊行会 発行、1985年11月20日



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