大隣寺 (二本松市)とは? わかりやすく解説

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大隣寺 (二本松市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 23:38 UTC 版)

大隣寺
所在地 福島県二本松市成田町1-532
位置 北緯37度35分32.4秒 東経140度25分24.6秒 / 北緯37.592333度 東経140.423500度 / 37.592333; 140.423500座標: 北緯37度35分32.4秒 東経140度25分24.6秒 / 北緯37.592333度 東経140.423500度 / 37.592333; 140.423500
山号 巨邦山
宗派 曹洞宗
創建年 寛永4年(1627年
開基 丹羽長重
公式サイト 大隣寺
法人番号 5380005004128
大隣寺
大隣寺 (福島県)
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大隣寺(だいりんじ)は、福島県二本松市にある曹洞宗寺院

歴史

1627年寛永4年)、丹羽長重の開基である。長重は父・長秀の菩提を弔うため、藩主をしていた白河藩白河城下に寺を創建した[1][2]

寺号の「大隣寺」は長秀の戒名「総光寺殿大隣宗徳大居士」に由来する。寺紋も丹羽家の直違紋[3]を使用している[4]

1643年寛永20年)、長重の子・光重の代になり二本松藩に転封されたため、二本松城下に移転した。以降丹羽家の菩提寺となった[4][1]

戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟側につき、二本松城は落城した(二本松の戦い)。戦後、藩主の丹羽長国は謹慎し、当寺が謹慎所として充てられた。二本松藩の仮藩庁にもなっていた[4][1]

藩主を務めた丹羽氏の墓所は、菩提寺である当寺と青山墓地(東京都)の丹羽家墓所に分かれ、第2代長次や第10代長国・第11代長裕の墓は青山墓地にあったが、2024年(令和6年)に大隣寺に新たに整備される丹羽家墓所に移設してまとめられることになった[5][6]

他にも、丹羽一族の墓や二本松の戦いを戦った二本松少年隊の墓がある[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 大隣寺二本松市観光連盟
  2. ^ a b 福島県高等学校地理歴史・公民科(社会科)研究会 編『福島県の歴史散歩(歴史散歩7)』山川出版社、2007年、114-115p
  3. ^ X」字の家紋
  4. ^ a b c 大隣寺の変遷大隣寺
  5. ^ 二本松藩主の墓、東京から帰還へ 今秋には完了、竣工法要”. 福島民友新聞. 2024年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月22日閲覧。
  6. ^ 丹羽家歴代藩主の墓を一カ所に 福島県二本松市の菩提寺・大隣寺に東京の墓所を移設統合”. 福島民報 (2024年7月11日). 2024年7月12日閲覧。

参考文献

  • 福島県高等学校地理歴史・公民科(社会科)研究会 編『福島県の歴史散歩(歴史散歩7)』山川出版社、2007年

外部リンク




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