大島光義とは? わかりやすく解説

大島光義

(大島雲八 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 00:59 UTC 版)

大嶋 光義(おおしま みつよし)は、戦国時代武将安土桃山時代から江戸時代初期の大名。弓の名手。美濃国関藩初代藩主。姓は大嶋とも記される。通称は複数伝わるが、大嶋 雲八(おおしま うんぱち)の名で知られる。


注釈

  1. ^ 一説には大永元年(1521年)生まれとも[2]
  2. ^ 丹波山家藩谷衛友の三男。
  3. ^ 女婿・横江清元の子。光義の猶子。
  4. ^ 長井道利は稲葉山城落城により没落した。同城落城は永禄7年(1564年)と永禄10年(1569年)の2説があるが、後者が通説となっている。
  5. ^ 光義自身は高齢のため出陣していないという説もある。
  6. ^ ただし、光政・光俊も早くから家康に転じて美濃・摂津にあり、関ヶ原の戦役の際は大坂にいた妻子を顧みず東軍に従軍しており、そもそも当時の大島氏は子を東西に二分するほどの大身ではなく、西軍からも有力武将として重要視されてはおらず、東西に分かれたというのは明確な根拠がなくデータに基づいていないとする説もある[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 谷口 2010, pp. 94–95
  2. ^ a b c d e 富加町史編集委員会 1980, pp. 269–271, 下巻
  3. ^ a b c d e f g 川辺町史編さん室 1996, p. 199, 旗本大嶋氏の経歴
  4. ^ 川辺町史編さん室 1996, pp. 135–139, 「肥田軍記」
  5. ^ 川辺町史編さん室 1996, pp. 176–177, 大嶋光義
  6. ^ 『寛永諸家系図 第一』 続群書類従完成会 第二刷1988年(一刷1980年) p.264
  7. ^ 富加町史編集委員会 1980, p. 733, 上巻.


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