大安寺村 (福井県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 03:03 UTC 版)
だいあんじむら 大安寺村 | |
---|---|
廃止日 | 1957年4月1日 |
廃止理由 |
分割・編入合併 大安寺村(一部) → 川西村 大安寺村(一部) → 福井市 |
現在の自治体 | 福井市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
![]() |
地方 | 中部地方、北陸地方 |
都道府県 | 福井県 |
郡 | 坂井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 8.46 km2. |
総人口 |
2,160人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 福井市、坂井郡春江町、川西村、吉田郡河合村 |
大安寺村役場 | |
所在地 | 福井県坂井郡大安寺村 |
座標 | 北緯36度06分28秒 東経136度10分31秒 / 北緯36.10775度 東経136.17514度座標: 北緯36度06分28秒 東経136度10分31秒 / 北緯36.10775度 東経136.17514度 |
ウィキプロジェクト |
大安寺村(だいあんじむら)は福井県坂井郡にあった村。現在の福井市中心部の北西、九頭竜川・日野川左岸にあたる。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、島山梨子村、内山梨子村、仙村、御所垣内村、江上村、剣大谷村、天菅生村、岸水村、四十谷村、田ノ谷村、北楢原村及び南楢原村の区域をもって、大安寺村が発足する。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 大安寺村が分割して、大字剣大谷、大字江上、大字御所垣内、大字仙、大字島山梨子及び大字内山梨子(現在の宮ノ下地区)の区域が川西村に、大字南楢原、大字北楢原、大字田ノ谷、大字四十谷、大字岸水及び大字天菅生が福井市に編入する。
分村合併騒動
1957年(昭和32年)4月1日、大安寺村は北部が川西村、南部が福井市に分かれそれぞれ編入した。大安寺村は地勢の関係で北部は農家が多く、南部は福井市に勤務する住民が多い関係で、合併話がでた際、北部は川西村へ、南部は福井市への編入をそれぞれ主張していた。55年の村長選挙では福井派が当選したものの、議会は福井派7名、川西派5名となり、村を二分する対立へと発展した。村当局と福井派は全村の福井市編入を主張し、川西派は分村してでも川西村へ編入したいと主張した。結果、村民の対立感情は日増しに高まり、日用品の購入もそれぞれの派の商店で購入するようになった。ついには呪いのワラ人形までが登場し、村内は不穏な雰囲気に包まれた。村当局の妨害がありながらも県選挙管理委員会の代執行住民投票の結果、大安寺村は分村の上、川西村と福井市にそれぞれ編入された。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 18 福井県
- 福井県史通史編6近現二 第四章 第一節三 分村合併
関連項目
- 大安寺村_(福井県)のページへのリンク