大学町としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:00 UTC 版)
1647年に創立した大学(Universität)は、1803年に廃止されたが、「哲学・神学単科大学(Hochschule)」として新たに生まれ変わった。1946年から1947年にかけての冬学期に、総合大学に必要な学部を拡張し、学生を受け容れ始めた。そして大学自身は、バイエルン州第4の州立総合大学となることを目指した。エネルギッシュな主導者は、当時の学長ベネディクト・クラフトであった。彼は、その時ケーニヒスベルクやブレスラウで教鞭を執っていた著名な教授やライプツィヒ帝国最高裁判所所長を招聘した。戦争から帰還した元兵士の多くが勉強を再開したため、学期を追うごとに大学は拡大を続けていった。 拡充計画は、レーゲンスブルク大学がバイエルン州第4の州立大学となり、挫折したものの、1972年にバンベルク単科大学は総合大学として再出発し、1979年にはUniversitätに昇格した。創設者にちなんで、オットー=フリードリヒ大学と名付けられたこの大学は、人文科学部、社会科学部の他に「経済情報学と学際領域情報学」の学部を有している。
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