大分市立津留小学校とは? わかりやすく解説

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大分市立津留小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 07:33 UTC 版)

大分市立津留小学校
北緯33度14分25秒 東経131度37分49秒 / 北緯33.24028度 東経131.630326度 / 33.24028; 131.630326座標: 北緯33度14分25秒 東経131度37分49秒 / 北緯33.24028度 東経131.630326度 / 33.24028; 131.630326
過去の名称 津留学校
津留尋常小学校
東大分尋常小学校
津留国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大分市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B144210000124
所在地 870-0934
大分県大分市東津留一丁目4番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大分市立津留小学校(おおいたしりつ つるしょうがっこう)は、大分県大分市東津留一丁目にある公立小学校

概要

大分市のほぼ中心部に位置し、交通量の多い国道197号沿線にある。設立100年を越える歴史ある小学校である。

沿革

  • 1873年(明治6年) - 個人宅に津留学校が設立される。
  • 1879年(明治12年) - 現在地に移転。津留小学校と称す。校舎は三佐村にあった岡藩の倉庫を利用[1]
  • 1892年(明治25年) - 小学校令により津留尋常小学校に改称。
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令により津留国民学校に改称。
  • 1945年(昭和20年) - 校区内に海軍航空隊や航空廠があり、疎開による児童数激減のため学校閉鎖。児童は東大分小学校に移る。戦後は大分市立城東中学校が校舎を使用したため再開校が遅れる[1]
  • 1956年(昭和31年) - 津留小学校が再開校する。
  • 1976年(昭和51年) - 生徒数増加のため大分市立舞鶴小学校が新設される。

通学区域

  • 南津留、東津留一丁目・二丁目、花津留一丁目・二丁目、古ケ鶴一丁目・二丁目、岩田町一丁目〜四丁目、中津留、下郡の一部、津留の一部[2]
    全域が大分市立城東中学校の通学区域である。

周辺施設

アクセス

脚注

  1. ^ a b 渡辺克己 「デジタルブック版「大分今昔」 第二十六章 都留かいわい (PDF) 」 大分合同新聞社、2008年2月8日
  2. ^ 通学区域一覧 小学校及び中学校の通学区域 (PDF)”. 大分市. 2014年7月19日閲覧。
  3. ^ 大分市立津留小学校”. Yahoo! JAPAN. 2014年7月19日閲覧。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯33度14分25.008秒 東経131度37分49.174秒





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