大久保玄蕃知行所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/16 07:38 UTC 版)
大久保玄蕃知行所(おおくぼげんばちぎょうじょ)は、駿河国庵原郡・益津郡の中で5000石を知行した旗本、大久保忠成から大久保忠宣までの江戸時代における9代にわたっての知行地。
注釈
- ^ 大久保家の屋敷があった永田馬場の地図は以下を参照:“江戸マップβ版 [7-086] 永田馬場”. 人文学オープンデータ共同利用センター. 2022年2月25日閲覧。
- ^ 静岡古文書研究会『新川事件の真相 駿州庵原郡瀬名村』(P55)による錦屏山長福寺過去帳の記述、と『新訂寛政重修諸家譜 第十一』(P400~P402)。九代・忠宣は両方の資料に記述が無かったため他の資料から補足した。
- ^ 資料の通りだが、宝永の間違いではないだろうか
- ^ 『焼津市史 通史編 上巻』の記述では「忠学」となっている[6]。
- ^ 『西奈村誌1』(p87)では大久保紀伊守(四郎右衛門、知行5千石)の領地との記述がある
出典
- ^ 堀田 1965, p. 402.
- ^ a b 堀田 1965, p. 401.
- ^ けやき 2006, p. 152.
- ^ 小川恭一『寛政譜以降 旗本家百科事典 第1巻』(東洋書林、1997年、P483)
- ^ a b 堀田 1965, p. 400.
- ^ a b c 焼津市史編さん委員会 2005, p. 587.
- ^ 焼津市立図書館 1987, p. 12.
- ^ 焼津市立図書館 1987, p. 19.
- ^ 焼津市立図書館 1987, p. 51.
- ^ 焼津市立図書館 1987, p. 32.
- ^ 焼津市立図書館 1987, p. 15「文化五年(1808年)大久保知行所の陣屋役人の非道を訴える」
- ^ “旗本御家人-布衣以上大概順”. 国立公文書館. 2022年2月25日閲覧。
- ^ 『歴史人別冊 完全保存版 大江戸武士の暮らし大全』(KKベストセラーズ、2016年、P36、P37)
- ^ 堀田 1965, pp. 400–401.
- ^ 『渋沢社史データベース-(株)静岡銀行「静岡銀行史』(1960.05)
- ^ 『西奈村誌1』p96
- ^ 静岡県神社庁静岡支部、静岡県神社総代会静岡支部『静岡市神社名鑑』(1976年、P86)
- ^ けやき 2006, p. 129.
- ^ けやき 2006, p. 128.
- ^ けやき 2006, p. 108.
- 1 大久保玄蕃知行所とは
- 2 大久保玄蕃知行所の概要
- 3 歴代当主
- 4 瀬名の郷蔵と番屋
- 5 参考文献
- 大久保玄蕃知行所のページへのリンク