大中華仏国 (石金鑫)とは? わかりやすく解説

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大中華仏国 (石金鑫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 04:14 UTC 版)

大中華仏国
大中華佛國
大中华佛国
1983年 - 1983年
(国旗)
公用語 中国語
首都 根拠地:醴陵県(現醴陵市)黄沙郷清潭橋村
皇帝(後主)
1983年10月21日 - 1983年12月 石金鑫
丞相
1983年10月21日 - 1983年12月 李丕瑞
1983年10月21日 - 1983年12月 李臻仁
1983年10月21日 - 1983年12月 曽広波
変遷
石金鑫即位 1983年10月21日
滅亡 1983年12月
通貨 人民元
時間帯 UTC +8

大中華仏国(だいちゅうかふつこく、繁体字中国語: 大中華佛國簡体字中国語: 大中华佛国)は、1983年10月-12月の間に、現在の湖南省江西省一帯の地域に存在した国家である[1]

概要

1953年、大中華仏国滅亡後、「三期普渡道」の信徒の大半は降伏したが、残党が地下活動を展開。首謀者の李丕瑞は1976年、毛沢東の逝去を機に「仏国」の復興を画策し、石頂武の遺児を捜索。1979年2月21日、遺児石金鑫を発見。1983年10月21日、石金鑫は李丕瑞宅にて即位式を挙行。李丕瑞、李臻仁そして曽広波を丞相、鐘源仁を太師、他の幹部などに任命。中国共産党打倒を表明する。しかし、1979年より三期普渡道の動向を警戒していた公安は早急に対応し、1983年12月鎮圧に成功。1985年5月、株洲市中級人民法院は李丕瑞と李臻仁を死刑、石金鑫、曽広波そして鐘源仁を有期徒刑、他の幹部を徒刑に処し、大中華仏国は滅亡した[2]

脚注

  1. ^ 来源:鳳凰網;作者:莫辛 (2014年6月7日). “中華仏国覆滅記:1949年後父子相継“称帝”” (簡体中文). 鳳凰網>資訊>歴史>中国現代史>正文. 2014年6月7日閲覧。
  2. ^ 作者:牛八 (2013年12月1日). “株洲,厳打反動会道門” (簡体中文). 株洲網>《株洲日報》数字報刊>第A3判:文史博覽. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月1日閲覧。

参考文献




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