多賀秀敏_(官僚)とは? わかりやすく解説

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多賀秀敏 (官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 18:31 UTC 版)

多賀 秀敏(たが ひでとし、1890年明治23年)5月28日[1] - 1934年昭和15年)7月14日)は、朝鮮総督府官僚。正五位勲六等[2]

経歴

大阪府大阪市出身[1]1918年大正7年)、東京外国語学校英語学科を卒業。1921年(大正10年)には京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に高等試験行政科に合格した[3]。朝鮮総督府属、道警視咸鏡南道商工課長・審査課長、同水産課試験場長、忠清南道学務課長・土木課長、京畿道学務課長、忠清南道財務部長、慶尚北道財務部長、大邱府尹、光州税務監督局長などを歴任した[1][3]

1934年昭和15年)7月14日、病気療養中に大阪市の大阪帝国大学医学部附属医院で死去、44歳[4]。同年5月中旬より入院していた[4]。死没日をもって従五位から正五位に叙される[2]

脚注

  1. ^ a b c 輓近大日本拓殖史 1934, p. 491.
  2. ^ a b 故多賀局長に叙位の御沙汰」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1934年7月25日、夕刊、1面。2024年3月20日閲覧。
  3. ^ a b 朝鮮人事興信録 1935, p. 270.
  4. ^ a b 多賀秀敏氏訃」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1934年7月17日、夕刊、5面。2024年3月20日閲覧。

参考文献

  • 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。 
  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 



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