多武良哲三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 09:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動多武良 哲三(たむら てつぞう、1905年5月[1] - 1962年3月16日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
愛知県出身[1]。1935年東京帝国大学商科卒[1]。(株)明電舎平坂、名古屋各工場長、同名古屋製作所副所長、同監査役、取締役、三光商事(株)取締役社長となる[1]。
1949年の第24回衆議院議員総選挙では愛知2区から民主自由党公認で立候補して当選した[2]。衆議院議員を1期務めた。この間民主自由党政調会文部副部長を務めた[1]。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選[2]。1953年の第26回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
このほか西枇杷島町監査委員、愛知県卓球協会名誉会長、名古屋電気学園理事、愛知工業大学事務局長を歴任した[1]。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
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