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増井慶太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 06:59 UTC 版)

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増井 慶太郎(ますい けいたろう、1883年明治16年)12月27日[1] - 1977年昭和52年)6月28日[2])は、大正から昭和時代の政治家実業家衆議院議員

経歴

静岡県安倍郡静岡横内町(現静岡市葵区横内町)の米穀商の長男として生まれる[3]1914年(大正3年)押麦製造機械および押麦製造販売会社の不二商会を設立し、1920年(大正9年)には静岡米穀商組合長に就任した[3]

1933年(昭和8年)から静岡市会議員を連続3期務め、同議長を歴任した[3]。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙では静岡全県区から出馬し当選[4]。衆議院議員を1期務めた[4]。議員在任中は国民協同党会計監督、代議士会副会長を務めた[4]

1951年(昭和26年)静岡商工会議所会頭、1954年(昭和29年)静岡県商工組合中央会会長を経て、静岡県中小企業団体中央会会長を21年間務めた[3]

ほか、鎌倉合同乗合自動車、日本玩具、トモエ商会、不二工機、葵酒造、静岡米穀各社長、富士製粉清水銀行各取締役、静岡県商工経済会評議員、静岡信用、静岡市購買利用組合、経済団体連合会各理事、日本商工会議所常議員を歴任した[5]

栄典

位階
勲章等

伝記

  • 秋吉茂著『玄米にて候 増井慶太郎翁伝』フリーダムプロダクト、1973年。

脚注

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  1. ^ 衆議院事務局 1946, 15頁.
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』588頁。
  3. ^ a b c d 静岡新聞社出版局 1991, 426頁.
  4. ^ a b c 衆議院、参議院 1962, 457頁.
  5. ^ 衆議院、参議院 1962, 456-457頁.

参考文献




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