塩干人形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/21 01:00 UTC 版)
昭和30年代から40年代にかけて、7月の当社の例大祭では塩干人形が飾られていた。これは元々、明治時代に当社の近くにあった靱中通二丁目の無格社住吉神社(後に港区の港住吉神社に合祀された)が「永代浜の住吉祭」の際に菊人形の代わりに出していたもので、昆布やスルメ、鰹節、干し海老、チリメンジャコなどの塩干物で精巧に作られていたという。明治42年(1909年)7月31日の北区に起きた火災の影響で途絶えていたが、昭和になり楠永神社の大祭で復活した。 塩干人形はその後、人形つくりの職人が亡くなった事で再び途絶えたという。
※この「塩干人形」の解説は、「楠永神社」の解説の一部です。
「塩干人形」を含む「楠永神社」の記事については、「楠永神社」の概要を参照ください。
- 塩干人形のページへのリンク