坂東彦三郎 (3代目)とは? わかりやすく解説

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坂東彦三郎 (3代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 02:51 UTC 版)

さんだいめ ばんどうひこさぶろう
三代目 坂東彦三郎
屋号 音羽屋
定紋 鶴の丸 
生年月日 1754年
没年月日 1828年4月2日
襲名歴 1. 初代市村吉五郎
2. 三代目坂東彦三郎
俳名 橘子・薪水・楽善
別名 半草庵楽善
大精心楽善[1]
出身地 江戸
八代目市村羽左衛門
兄弟 九代目市村羽左衛門
当たり役
仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助
菅原伝授手習鑑』の菅丞相

三代目 坂東彦三郎(さんだいめ ばんどう ひこさぶろう、1754年宝暦4年) - 1828年4月2日文政11年2月18日))は、江戸時代中期の歌舞伎役者。屋号ははじめ萬屋、のち音羽屋俳名に橘子・薪水・楽善。通称:坂彦/向島の親分[2]。享年75。戒名:願生院極誉楽善法子[1]

八代目市村羽左衛門の三男で兄には九代目市村羽左衛門がいる。初代尾上菊五郎門人。

宝暦8年(1758年)11月頃から市村座の若太夫として出る。翌年3月には同座で市村吉五郎を名乗り子役で舞台に立つ。

明和7年(1770年)11月に三代目坂東彦三郎を襲名し、以後若衆方で活躍。8年後に元服して立役に転じた。

江戸・京都・大坂の三都で人気を博し、当たり役が『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助と『菅原伝授手習鑑』の菅丞相だったので、文化8年(1811年)7月[1]に江戸の舞台を退く際にも中村座で両役を演じた。「一世一代」として文化10年(1813年)に大坂で『菅原伝授手習鑑』の菅丞相と武部源蔵を勤め、京都で『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助を演じて完全に舞台から引退した[3]京都黒谷で剃髪した後江戸に帰り、半草庵楽善と号して本所原庭に隠居して余生を送った。晩年風流に書画・俳諧茶道を嗜み余生を過ごした。

時代物より世話物を得意とし所作和事武道を得意とした。

関連項目

脚注

出典

  1. ^ a b c 国立劇場調査記録課 編|独立行政法人日本芸術文化振興会 2012年1月31日発行『歌舞伎俳優名跡便覧[第四次修訂版]』P.399に掲載。
  2. ^ 国立劇場調査記録課 編|独立行政法人日本芸術文化振興会 2020年3月31日発行『歌舞伎俳優名跡便覧[第五次修訂版]』P.294に掲載。
  3. ^ 歌舞伎座宣伝部 編|2017年5月3日 歌舞伎座発行『團菊祭五月大歌舞伎 筋書き』P.32-33「彦三郎家の代々」掲載(5月上旬購入版)



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