國枝氏とは? わかりやすく解説

国枝氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/05 07:38 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

国枝氏(くにえだし)は、日本の氏族のひとつ。

概略

有名なものには15世紀後半以降美濃池田郡本郷に本郷城を築いた美濃国枝氏がある[1]。系統については諸説あり判然としないが、守護土岐氏守護代斉藤氏との縁故も深く文明年間には相当の実力を蓄えていたようであり、明応4年(1495年)6月 小守護代石丸利光土岐成頼の子・元頼を擁立して、船田合戦を起こすと国枝為助が石丸方の副将として一軍を率いている。しかし中野の戦いで敗北、為助ら国枝一族は全員討死にを遂げ、最終的に石丸方も敗北したため一時没落した。その後勢力を回復して戦国末期まで有力土豪としてその地位を保った。

関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)8月、本郷城主であった国枝政森は織田秀信に属して西軍にくみし敗れて城を焼き払われる。 これによって領主としての美濃国枝氏は滅亡した。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 太田 1934, p. 2094.

参考文献


國枝氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 09:09 UTC 版)

本郷城」の記事における「國枝氏」の解説

美濃國氏の系統については諸説あり判然としないが、守護土岐氏守護代斉藤氏との縁故深く文明年間には相当の実力蓄えていたようであり、明応4年1495年6月に小守護代石丸利光土岐成頼の子・元頼を擁立して船田合戦起こす國枝為助が石丸方の副将として一軍率いている。 しかし中野戦いで敗北、為助ら國枝一族全員討死に遂げ最終的に石丸方も敗北したため一時没落したその後勢力回復して戦国末期まで有力土豪として本郷城にてその地位保った

※この「國枝氏」の解説は、「本郷城」の解説の一部です。
「國枝氏」を含む「本郷城」の記事については、「本郷城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「國枝氏」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「國枝氏」の関連用語

1
本郷城 百科事典
14% |||||

國枝氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



國枝氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの国枝氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの本郷城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS