喜樂館 (京城府)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 13:01 UTC 版)
喜樂館(きらくかん、朝: 희락관、ヒラックァン)は、かつて存在した日本統治時代の朝鮮の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8]。1915年(大正4年)9月、日本が統治する朝鮮の京城府本町1丁目(現在の大韓民国ソウル特別市中区忠武路1街)に有樂館(ゆうらくかん、朝鮮語: 유락관、ユラックァン)として開館する[1]。1918年(大正7年)には喜樂館と改称したが[1]、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に火災により全焼、閉館した[9]。新漢字表記喜楽館。戦前の京城日本人街につくられた映画館のうち、最高の興行収入を上げた映画館として知られる[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 笹川慶子「京城における帝国キネマ演芸の興亡 : 朝鮮映画産業と帝国日本の映画興行」『大阪都市遺産研究』第3号、関西大学大阪都市遺産研究センター、2013年3月、19-31頁、NAID 120005687634。
- ^ a b c d e f g 年鑑[1925], p.506.
- ^ a b c d 総覧[1927], p.696.
- ^ a b c d 総覧[1929], p.302.
- ^ a b c d 総覧[1930], p.599.
- ^ 昭和7年の映画館 朝鮮 41館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e f 年鑑[1942], p.10-109.
- ^ a b c d e 年鑑[1943], p.504.
- ^ a b c 이[2008], p.283.
- ^ a b 명동밀리오레 、ミリオレ、2013年11月18日閲覧。
- ^ Cabiria - IMDb , 2013年11月18日閲覧。
- ^ a b 佐藤[2007], p.70.
- ^ a b 『カビリア』公開広告(有樂館)、毎日申報、1917年4月6日付。
- 1 喜樂館 (京城府)とは
- 2 喜樂館 (京城府)の概要
- 3 脚注
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