咸淳 (高麗)とは? わかりやすく解説

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咸淳 (高麗)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 06:37 UTC 版)

咸 淳
各種表記
ハングル 함순
漢字 咸 淳
発音: ハム・スン
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咸 淳(ハム・スン、朝鮮語: 함순生没年不詳)は、高麗作家

本貫江陵咸氏の支族の楊根咸氏子眞(ジャジン、자진)。

生涯

高麗の建国功臣の咸規の6世孫であり、科挙の文科に及第し文章が優れ、節行があった[1]明宗の時代、武臣の乱で政治に興味を失い、名のある儒者たちと付き合いながら江左七賢を組織し、詩作と酒を嗜んだ。

咸淳の父である咸有一は咸規の5世孫で、高麗仁宗の時、妙清の乱を平定し、後に兵部尚書令を務めた。

脚注

  1. ^ 咸淳 - 韓国民族文化大百科事典



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