和久事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:39 UTC 版)
1994年1月号で和久峻三のスキャンダルを掲載、これに対して和久は東京地検特捜部に名誉棄損で刑事告訴。1995年6月に編集発行人の岡留と担当デスクの神林が在宅起訴される。両名は、記事は公人(みなし公人、社会に対して影響力のある人物)に対する正当な批判報道であり名誉毀損は成立しない、起訴は宗像紀夫東京地検特捜部長(当時)が小針暦二からりんご箱を送られていたと報じたことや一連の検察批判に対する報復であり公訴権の濫用であると主張するも、東京地裁は編集長を懲役8月、執行猶予2年。デスクを懲役6月、執行猶予2年とする判決を下す。東京高裁、最高裁へ審理が進むも2005年3月7日、最高裁は上告を棄却する決定を出し、判決が確定する。
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