同時代の人物による評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:07 UTC 版)
秦檜より40歳年下で、その政権下の紹興18年(1148年)に実施された科挙で進士となった朱熹は、秦檜に対して次のように厳しく批判している。 秦檜は、昔は品行純正な人であった。その時には立派な知り合いもいたが、晩年には彼から離れていき、すべてだめになった。 秦檜は士大夫の小人である。 秦檜は、和議を唱導して国を誤らせ、夷狄の力を頼んで天子を眩ませ、ついには人の守るべき道を踏みにじって、親を忘れ、君をあとまわしにした。これは、秦檜の大罪である。 また、浙東提挙常平茶塩公事として温州の州治の永嘉県を視察した朱熹は、温州ではかつて知事を務めた秦檜が崇敬されて県学に祠が作られていると知るや、取り壊しを命じている(『晦庵先生朱文公文集』巻99「除秦檜祠移文」)。
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