吉田松陰脱藩の道碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)
「本福寺 (松戸市)」の記事における「吉田松陰脱藩の道碑」の解説
嘉永4年(1851年)12月14日、長州藩を脱藩した長崎藩士吉田松陰が東北遊学に出かける途中、追っ手から逃れるため旅籠を避け、松戸宿から東北に半里離れた山林を分け入り偽名を使い本福寺の門を叩いた。当時の住職、二十九世覚阿了音和尚(りょうおん)は、見知らぬ若者を親切にもてなしてくれた。その翌日、松陰は本郷村の子供たちを集めて講義をしたという。
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