台湾人民族運動の機関紙としての『台湾民報』
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『台湾民報』および『台湾新民報』は1920年代から30年代にかけ、台湾での各種社会運動に大きな影響を与えた。まず、1921年(大正11年)からはじまった台湾独自の議会の設置を求める台湾議会設置請願運動や、新しい民族意識をもった台湾人知識人の民族運動団体である「台湾文化協会」による文化啓蒙活動など、1920年代前半の台湾人による抗日民族運動の機関誌の役割を果たした。治警事件や二林事件の報道により台湾人に大きな影響力を与えた。東京で発行し、台湾に持ち込むという不利な条件の下、最盛期には1万部を突破したと豪語した。
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