取星寺とは? わかりやすく解説

取星寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 03:13 UTC 版)

取星寺

本堂
所在地 徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇字松ノ本71
位置 北緯33度56分41.35秒 東経134度36分14.47秒 / 北緯33.9448194度 東経134.6040194度 / 33.9448194; 134.6040194座標: 北緯33度56分41.35秒 東経134度36分14.47秒 / 北緯33.9448194度 東経134.6040194度 / 33.9448194; 134.6040194
山号 妙見山
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
創建年 (伝)延暦11年(792年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 妙見山 取星寺
札所等 四国八十八箇所19番奥の院
阿波七福神(福禄寿)
文化財 木造阿弥陀如来坐像(県文化財)
法人番号 8480005004478
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取星寺(しゅしょうじ)は、徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇に所在する寺院。山号は妙見山で、宗派は高野山真言宗。本尊は虚空蔵菩薩四国八十八箇所第十九番立江寺奥の院、阿波七福神霊場札所・福禄寿

概要

寺伝によれば、平安時代初期の延暦11年(792年)に空海(弘法大師)が太龍の峰(現・太龍寺)で修法中に、地上に厄災を及ぼす妖星が現れた。空海が秘法を用いると妖星が地上に落ち松の木に引っかかった。空海がその星を拾い、妙見菩薩と虚空蔵菩薩を刻んでこの地に納めたと伝わる。

南北朝時代至徳元年(1384年)、増吽上人が鹿島大明神・香取大明神を勧進し妙見宮を建立したと言われる。

天保3年(1831年)、快典上人は山麓山頂に新四国を建立。

明治時代神仏分離令により取星寺と明現神社とに分離された。

なお、「四国十九番奥之院」と「阿波七福神霊場」の納経及び御影の授与は寺務所にて行なっているが、住職不在の場合は書き置きが入った箱が用意されているので、書き置きの納経を頂くようになっている。

境内

  • 本堂
  • 虚空蔵菩薩堂
  • 鐘楼
  • 阿弥陀堂
  • 三宝荒神堂:七福神福禄寿、妙見大明神
  • 大師堂
  • 熊鷹大明神(祠)
  • 阿加井の井戸
  • 七福神石像・魚覧観音石像・蜂須賀年子女史歌碑・・
  • 新四国

文化財

県指定有形文化財
阿南市指定有形文化財
  • 半鐘:昭和57・8・2指定
阿南市指定史跡
  • 新四国霊場:昭和39・7・13指定

前後の札所

四国八十八箇所
19 立江寺 -- 19番奥の院 取星寺 -- 20 鶴林寺

ギャラリー

山内周辺

明現神社
  • 明現神社:妙見宮が明治初年の神仏分離で神社となった。
  • 三宝荒神奥の院(祠)
  • 経塚:約600年前、増吽上人が大般若経六百巻を浄書し埋めた所。

参考文献

  • 徳島史学会 編『新版 徳島県の歴史散歩』(1刷)山川出版社、1995年、186-187頁。 NCID BN13061014 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 解説編(第7版)、へんろみち保存協力会、2007年。 
  • 現地説明板

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