原爆ピアノとは? わかりやすく解説

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被爆ピアノ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 07:02 UTC 版)

映像外部リンク
2017年ノーベル平和賞コンサート
Hibaku "Atomic" Piano Intro - ジョン・レジェンドザラ・ラーソン神のみぞ知る』。用いたピアノは広島市宇品で被爆し矢川光則が再生したもの[1]

被爆ピアノ(ひばくピアノ)は、1945年8月の日本への原子爆弾投下によって被爆したピアノ

概要

1991年の湾岸戦争を契機として、音楽を通じた平和・環境活動を開始したジャズピアニスト河野康弘が、日本には山の木を伐採してつくられたピアノが約450万台眠っていることを知り、古いピアノの再利用が自然との共生と考え、1992年からピアノの再利用活動を開始した。

河野は、1994年ころから広島へ行くようになり、原爆のこと、平和のことを沢山の方に考えてほしいと考え、原爆ドーム前でのコンサート開催を構想する。そして「広島にはきっと被曝ピアノが眠っているのではないか」と考え、被爆したであろうピアノを探し始める[2]。その後、呉市の中学校で被曝したピアノの提供を受け、矢川光則に整備を依頼。1997年8月6日、8:10より広島現代美術館で被爆ピアノによる演奏を行う。これが被爆ピアノの初めての演奏となった。翌1998年8月5日には、原爆ドーム元保川対岸ステージ「地球ハーモニーコンサート」で矢川光則が発見した被曝ピアノ2台で演奏した[3]

2025年時点で広島市に10台・長崎市に1台・仙台市に1台合計12台が現存する[4][5]。うち仙台のものは広島で被爆した[6]ことから広島市への原子爆弾投下によるものが11台、長崎市への原子爆弾投下によるものが1台になる。いくつかは再生され演奏活動を続け、2017年ノーベル平和賞コンサートでその存在が世界的に知られるようになる[7]。なお矢川は2018年時点で「新たな被爆ピアノが出てくることはもうないだろう」とコメントしていたが[8]、2021年に新たな被爆ピアノが矢川のもとに寄贈された[5]

現存

広島

1 (呼称なし) 製造年不明のアップライトピアノ
2 明子さんのピアノ 1926年エリントン(ボールドウィン製)アップライトピアノ[10]
  • 所有者は同年に生まれた帰米二世であり、アメリカで生まれた際に両親が購入し帰国時に持ち込んだ[10]
  • 爆心地から約2.5kmの三滝町の民家で被爆[11]。所有者は爆心地から約1kmのところで被爆し、翌8月7日に亡くなっている[11]
  • 戦後両親が保管、2005年に社団法人HOPEプロジェクトへ託され、演奏活動が行われていた[11]。2020年から平和記念公園レストハウスに常設展示される[11]

以下の6台は河野と矢川の活動によって再生されたもの[12][13]。2001年、矢川が広島県内で演奏活動を開始、2005年から全国で活動を始めている[14]

3 ミサコのピアノ(千田町ピアノ) 1932年(昭和7年)ヤマハ製アップライトピアノ[12][15]
  • 爆心地から約1.8kmの千田町の民家で被爆。
  • 2005年に所有者から矢川へ託された[12][15]
4 カズコのピアノ(段原ピアノ) 製造年度不明のホルゲル(HORUGEL(ドイツ))製アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から約2.6kmの段原の民家で被爆。当時所有者と同地で一緒に被爆している。
  • 2009年に所有者から矢川へ託された[12][15]
5 宇品ピアノ 1938年(昭和13年)ヤマハ製アップライトピアノ[12][15]
  • 爆心地から約3kmの宇品の民家で被爆。
  • 1998年に被爆者団体から矢川へ託された[12][15]
  • 2017年ノーベル平和賞コンサートで用いられた[1]
6 舟入ピアノ 1920年(大正9年)ヤマハ製アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から1.5kmの舟入の民家で被爆、側面にガラス片が刺さった跡が残る。当時所有者と同地で一緒に被爆している[12][16][15]
  • 2014年、所有者から矢川に託された[12][16][15]
7 グランドピアノ 1937年(昭和12年)ヤマハ製セミコンサートグランドピアノ[12]
  • 所有者は音楽の指導者で、爆心地から2kmの小学校(現・西区)で被爆し爆風でばらばらになった[12][15][17]
  • 1946年(昭和21年)、広島ピアノ工場で大がかりな修復が行われた[12][15][17]
  • 所有者の死後はその教え子である広島市のピアノ教師が譲り受け、2014年に矢川へ託された[12][15][17]
8 牛田ピアノ 製造年度不明のモルゲンスターン(国産ブランド)アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から約2.3kmの牛田旭の民家で被爆、爆風によるガラス片も残っていた。当時所有者と同地で一緒に被爆している[12][8][4]
  • 2016年に所有者から矢川へ託された[12][8][4]
9 アップライトピアノ 1924年(大正13年)エイラーズ(アメリカ)製アップライトピアノ[12]
  • 所有者がアメリカに移住した叔父から譲り受けたもの[5]
  • 所有者と高等女学校時代に同級生だった二葉あき子東京音楽学校の進学を目指すためにこのピアノを使用して練習していたことがある[5]
  • 爆心地から約1.7kmの西観音町の民家で被爆[12][5]
  • 所有者の死後は所有者が保有していた賃貸住宅で保管され、2021年に所有者の長女から矢川へ託された[12][5]

長崎

1 (呼称なし) 製造年不明のヤマハ製アップライトピアノ[18]
  • 爆心地から2.8kmにあった民家で被爆、爆風で飛散したガラス片が刺さった跡が残る[18]
  • 終戦後も所有者が用いていたが使わなくなったため、1984年に長崎原爆資料館へ寄贈された[18]
  • 2006年、長崎資料館の企画展で一度展示されたが、現在は収蔵庫に保管されている[18]。広島のものと同様に修復され利用可能であるとされるが、寄贈された原爆資料は現状保存が前提であるため、そのままの状態となっている[18]

仙台

1 (呼称なし) 製造年度不明のアップライトピアノ
  • 1933年、所有者が母から買ってもらう。結婚により広島に在住、ピアノは夫の実家に置いていた。爆心地から3km(4kmとも)で被爆する[6][19]
  • 後に転居するも、その際ピアノも持参した。2003年、仙台市内の工房に修理に出し、再生された[6][19]
  • 現在も個人が所有[6][19]

メディア

書籍
楽曲
映画

脚注

  1. ^ a b 被爆ピアノ オスロへ 平和賞授賞式 関連行事で演奏”. 中国新聞 (2017年11月28日). 2020年5月1日閲覧。
  2. ^ 1997年7月8日中国新聞
  3. ^ http://www.yohkin.com/index.php?%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BCin%E5%BA%83%E5%B3%B6 8月6日に原爆ドーム前ででマル・ウォルドロンと河野康弘の平和ライブが開かれる(広島青年会議所主催)
  4. ^ a b c 被爆ピアノ見つかる 爆心地から約2.3キロの広島市東区牛田旭”. 中国新聞 (2016年2月29日). 2020年5月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 二葉あき子さんゆかりの一台 被爆ピアノ資料館に展示 平和学習に活用へ”. 中国新聞 (2021年11月30日). 2025年3月10日閲覧。
  6. ^ a b c d 被爆ピアノ=河北紙掲載”. 仙台ピアノ工房 (2010年8月8日). 2020年5月1日閲覧。
  7. ^ RCCテレビ 令和元年 8・6関連特別番組”. 中国放送. 2020年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月1日閲覧。
  8. ^ a b c 被爆ピアノ 新たな1台 広島の矢川さん 再生6台目”. 中国新聞 (2018年6月25日). 2020年5月1日閲覧。
  9. ^ a b 被爆資料”. 広島平和記念資料館. 2020年5月1日閲覧。
  10. ^ a b 平和を奏でる明子さんのピアノ 第1部 よみがえった音色<4>修復”. 中国新聞 (2020年4月24日). 2020年5月1日閲覧。
  11. ^ a b c d 被爆ピアノ常設展示へ 平和記念公園レストハウス”. 中国新聞 (2020年4月20日). 2020年5月1日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 被爆(ひろしま原爆)ピアノへのとりくみ”. 矢川ピアノ工房. 2020年5月1日閲覧。
  13. ^ 被ばくピアノ”. 河野康弘. 2020年5月1日閲覧。
  14. ^ 福島に再生の音を 広島の調律師 矢川さん”. 中国新聞 (2011年10月12日). 2020年5月1日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i j ピースピアノ プロフィール” (PDF). 被爆ピアノ(広島原爆ピアノ). 2020年5月1日閲覧。
  16. ^ a b 被爆ピアノ「里帰り演奏」 舟入住民ら開催”. 中国新聞 (2014年11月10日). 2020年5月1日閲覧。
  17. ^ a b c 魂のピアノ演奏 胎内被爆者の好井さん「人生かけたい」”. 中国新聞 (2009年1月19日). 2020年5月1日閲覧。
  18. ^ a b c d e 被爆ピアノ、長崎に眠る 無数のガラス片刺さった跡 戦後も演奏「存在知って」”. 西日本新聞 (2019年11月14日). 2020年5月1日閲覧。
  19. ^ a b c 被爆ピアノ 朝日新聞掲載”. 仙台ピアノ工房 (2010年8月25日). 2020年5月1日閲覧。

関連項目

外部リンク

動画




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