南端村とは? わかりやすく解説

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南端村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 21:03 UTC 版)

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南端村
廃止日 1956年4月1日
廃止理由 分割編入
南端村日出町別府市
現在の自治体 別府市杵築市宇佐市、日出町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
速見郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,374
(1955年)
隣接自治体 別府市、速見郡豊岡町山香町宇佐郡津房村、大分郡由布院町
南端村役場
所在地 大分県速見郡南端村大字南畑
座標 北緯33度22分25秒 東経131度27分29秒 / 北緯33.37356度 東経131.45817度 / 33.37356; 131.45817座標: 北緯33度22分25秒 東経131度27分29秒 / 北緯33.37356度 東経131.45817度 / 33.37356; 131.45817
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南端村(みなみはたむら)は、かつて大分県速見郡に存在した村である。4つに分割され、現在の宇佐市杵築市日出町別府市の一部となっている。

現在は日出町立南端中学校・日出町立南端小学校等に名をとどめる。

歴史

近世まで

豊前国豊後国の境界に位置する地域であった。

南畑村は、中世には日出荘と呼ばれる荘園の一部で、1601年慶長6年)に日出藩領となった。

一方、天間村(あままむら)は由布院の一部で、大友氏の直轄地であったが、その没落後、幕府領を経て、1601年(慶長6年)に中津藩領となり、その後、小倉藩熊本藩、日田藩、幕府領、島原藩、高松代官所支配地と支配者が頻繁に変わった。

近代

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南畑村・天間村が合併し、速見郡南端村が成立。南畑、天間はそれぞれ南端村の大字となる。1891年(明治24年)の人口は1,648人。
  • 1955年(昭和30年)8月1日 - 大字南畑の一部を宇佐郡安心院町、速見郡山香町へ編入。それぞれ、安心院町大字南畑、山香町大字南畑となる。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 大字天間全域及び大字南畑の一部を別府市へ、大字南畑の残部を日出町へ編入し、南端村は閉村となった。それぞれ、別府市大字天間及び大字南畑、日出町大字南畑となる。

参考文献

関連項目




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