南国梵桂和尚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:53 UTC 版)
「本徳寺 (岸和田市)」の記事における「南国梵桂和尚」の解説
寺を開基した南国梵桂は、一説には明智光秀の長男・明智光慶だと言われる。光慶は出家し、妙心寺の塔頭瑞松院に住して「玄琳」を名乗った。 瑞松院は、江戸初期には光秀の妻・煕子の実家である旗本妻木氏が檀那となっていた。また、玄琳の師は大心院主・三英瑞省で、光秀の三女・珠(細川ガラシャ)の夫・細川忠興が檀那となっていた。
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