南三陸町立戸倉中学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 教育施設 > 宮城県中学校 > 南三陸町立戸倉中学校の意味・解説 

南三陸町立戸倉中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/06 01:02 UTC 版)

南三陸町立戸倉中学校

南三陸町立戸倉中学校。震災発生時刻で止まったままの時計。(2015年4月撮影)
北緯38度38分34秒 東経141度26分32.8秒 / 北緯38.64278度 東経141.442444度 / 38.64278; 141.442444座標: 北緯38度38分34秒 東経141度26分32.8秒 / 北緯38.64278度 東経141.442444度 / 38.64278; 141.442444
過去の名称 戸倉村立戸倉中学校
志津川町立戸倉中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 南三陸町
閉校年月日 2014年3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 986-0781(987-0301)
宮城県本吉郡南三陸町戸倉字沖田69番地
(宮城県登米市米山町字善王寺石神68)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

南三陸町立戸倉中学校(みなみさんりくちょうりつ とぐらちゅうがっこう)は、宮城県本吉郡南三陸町南部の戸倉地区にあった公立中学校

2011年東日本大震災の際は、生徒・教員たちは津波が来襲する間際までグラウンドに避難していたため、地元住民も含め複数名が津波に飲まれ、1年生の男子生徒と教諭の2名が犠牲となった。被災後は志津川中学校で授業が行われていたが、2011年度の卒業式は生徒たちの要望により被災した元の校舎で挙行された[1]。その後、本校の生徒数が減少することが予想されたため、2014年4月より志津川中学校に併合された。

沿革

  • 1947年 - 戸倉村立戸倉中学校が開校
  • 1955年4月 - 志津川町立戸倉中学校へ改称
  • 2005年10月1日 - 志津川町、歌津町の合併に伴い、南三陸町立戸倉中学校へ改称
  • 2011年3月11日 - 東日本大震災により、1年生の男子生徒、教諭の2名が犠牲となる
  • 2011年5月10日 - 登米市の廃校となった学校で、2011年度を始業[2]
  • 2011年5月11日 - 入学式を挙行[2]
  • 2014年3月31日 - 閉校

通学区域

アクセス

脚注

参考文献

  • 2012年3月11日付朝日新聞朝刊(大阪本社13版)39面

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南三陸町立戸倉中学校」の関連用語

南三陸町立戸倉中学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南三陸町立戸倉中学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南三陸町立戸倉中学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS