千田裕之とは? わかりやすく解説

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千田裕之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/29 17:41 UTC 版)

千田 裕之(ちだ ひろゆき、1958年5月2日- )は日本歌手シンガーソングライター音楽プロデューサーである。 B型。

来歴

1984年、活動を休止し西武百貨店に就職する。

音楽プロデューサー、歌手として

1999年、木彫家・吟遊詩人/手仕事屋きち兵衛をプロデュース、同年、アルバム「素描画」をリリースする。

2002年、ブラスバンドBIG HORNS BEE織田浩司のソロアルバム「PIECES OF THE MOON」をプロデュースする。

2003年、アメリカ黒人コーラス4人組、プラチナム・パートナーズ「DRAMA-TIX」をプロデュースする。同年、NHK交響楽団トランペット奏者、佛坂率いるJzCraze「フェリス・ホイール」をプロデュースする。同年、さとう宗幸のプロダクション(さとう音楽事務所)所属アーティストである高橋佳生のシングル「雪渡り」を徳間ジャパンと共同プロデュースする。

2005年、音楽プロデューサーの傍ら作曲活動を始める。同年2月に中国西安出身歌手、ヤン・チェン第3弾シングル「白木蓮」の作曲を手がけ、NHK新ラジオ歌謡(2〜3月)に抜擢される。同年9月に演歌歌謡新人の大島功三「心に雨が降る夜は」を作詞家・荒木とよひさとのコンビで作曲を手がける。

2006年、1月ヤン・チェンシングル第4弾「愛することしかできない」の作曲を手がける。同曲が有線リクエストチャート2月〜5月期間総合チャート5位以内キープを続ける。 同年11月、さとう音楽事務所アーティスト、亜KIRAのプロデュース&作曲を手がけ、2006年度の仙台光のページェントテーマソング「ページェント・ナイト」をリリースする。古き良き時代の歌謡曲復活をテーマに活動中(目指せ!!スーパー歌謡プロジェクト)。

2007年清心(きよみ)「私に会いにきて」の作曲を手がける。

2008年、シンガーソングライター・千田裕之として活動再開する。

2009年には、未発表曲「歌ってよ昭和ブルース」ラフミックス・バージョンが未発売ながら6月度ヘビー・ローテーション曲として採用される。同年6月、有線問合せチャート第二位を記録する。

2010年10月6日、千田裕之自身のデビューシングル「帰りたい」(カップリング:美しいひと)でメジャーデビューを果たす。同曲は、同年10月・11月のNHKユアソングに抜擢される。またメジャーデビュー当時52歳ということで新聞にも取り上げられた[1]

2014年2月22日公開、日本音楽事業者協会創立50周年記念アニメ映画「ジョバンニの島」の主題歌に参加。

プロデュース

  • 「白木蓮」 ヤン・チェン(2005年2月2日)徳間ジャパン
  • 「心に雨が降る夜は」 大島功三(2005年9月21日)徳間ジャパン
  • 「愛することしかできない」 ヤン・チェン(2006年1月11日)徳間ジャパン
  • 「ページェント・ナイト」 亜KIRA(2006年11月1日)エイベックス
  • 「私に会いにきて」 清心(きよみ)(2007年7月4日)徳間ジャパン

脚注

  1. ^ 『読売新聞』2010年12月15日夕刊、『サンケイスポーツ』2011年6月18日など。

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