千明牧場場長に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/08 15:15 UTC 版)
1956年(昭和31年)、群馬県利根郡片品村の千明牧場から場長就任の要請を受け、受諾。同牧場は第7回東京優駿競走(日本ダービー)に優勝したスゲヌマなどを輩出した名門牧場であったが太平洋戦争中に閉鎖され、前年に再開したばかりで、勝四郎が赴任した当初は放牧地は荒れ果て、2頭の繁殖牝馬と2頭の1歳馬しかいない状態であった。勝四郎は牧草地や調教コースの整備、牧場周辺に多く生息していたアブの駆除などから牧場づくりを始め、限られた資源を用いて二冠馬メイズイ、天皇賞を優勝したコレヒサ、コレヒデの兄弟などを輩出し、千明牧場の立て直しに成功した。勝四郎はなおも馬産への情熱を燃やしていたが、千明牧場のオーナーであった千明康に「老いぼれ」呼ばわりされたことに憤慨し、1966年(昭和41年)に退職して故郷に戻り、その後は死去まで馬産に携わらなかった。
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