千住連と千住琳派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/25 03:47 UTC 版)
文淵より一世代前の「下谷の三幅対」と呼ばれた谷文晁、酒井抱一、亀田鵬斎、そして、抱一の絵の弟子である鈴木其一らは親しく交流していた。これら江戸の根岸や下谷の文人と千住とを結んだのが、鵬斎の妻の兄弟であった千住の建部巣兆であった。文化12年(1815年)には、坂川屋鯉隠ら「千住連」と呼ばれる俳諧を中心とする文人たちが彼らを招待して、有名な千住の「酒合戦」が行われた。大田南畝も招待された。そのような流れの中で、抱一による江戸琳派が、鈴木其一の弟子の村越其栄、向栄父子らを中心とする「千住琳派」として伝わってゆく。
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