北山古墳 (湯梨浜町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 20:58 UTC 版)
| 北山古墳 | |
|---|---|
| 墳丘(右に後円部、左に前方部) |
|
| 別名 | 北山1号墳 |
| 所属 | 北山古墳群 |
| 所在地 | 鳥取県東伯郡湯梨浜町野花・長和田 |
| 位置 | 北緯35度27分50.72秒 東経133度53分6.56秒 / 北緯35.4640889度 東経133.8851556度座標: 北緯35度27分50.72秒 東経133度53分6.56秒 / 北緯35.4640889度 東経133.8851556度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 墳丘長110m 高さ12m(後円部) |
| 埋葬施設 | 第1主体:(推定)竪穴式石室 第2主体:箱式石棺 |
| 出土品 | 管玉・短甲片・銅鏡・刀など |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 史跡 | 国の史跡「北山古墳」 |
| 地図 | |
北山古墳(きたやまこふん、北山1号墳)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町野花・長和田にある古墳。形状は前方後円墳。北山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
概要
鳥取県中部、東郷池南側の丘陵先端部に築造された大型前方後円墳である[1]。1966年(昭和41年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方向に向ける[2]。墳丘長は110メートルを測り、桷間1号墳(鳥取市、112メートル)とともに鳥取県内では最大規模になる[3]。墳丘外表には葺石のほか円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪が認められている[4]。後円部にあった埋葬施設のうち、第1主体は盗掘のため明らかでないが、礫床および石材の状況から竪穴式石室(竪穴式石槨)とされる[1]。墳丘主軸に平行する長方形の石室で、発掘調査では長さ6.2メートル・幅4.4メートルの礫敷(礫床)、および前方部方向への排水溝が確認された[2][1]。第1主体では盗掘により副葬品も大部分を失っており、調査ではわずかに管玉・甲(一部)のみが出土している[4]。また、第1主体石室の南2メートルの場所には第2主体として箱式石棺がある[2]。長さ1.7メートル・幅0.5メートル・深さ0.5メートルを測り、石棺内からは人骨のほか銅鏡(龍虎鏡)・勾玉・管玉・棗玉・鉄斧・刀が発見された[2][1]。なお、第1主体の北3メートルの場所にも長さ3メートル・幅1.8メートルの白砂敷部分が認められており、ここから出土品もわずかながら出土している[2]。また石室周囲からは籠目土器が出土している[4]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される[4]。東郷池周辺では首長墓群が営まれており、馬ノ山2号墳・宮内狐塚古墳・馬ノ山4号墳と築造が続いたが、大型古墳の系譜はこの北山古墳をもって途絶えている[5]。
古墳域は1980年(昭和55年)に国の史跡に指定されている[2]。なお後円部の東50メートルの地には、変形四神四獣鏡を出土した北山27号墳がある[4]。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:110メートル
- 後円部
- 直径:70メートル
- 高さ:12メートル
- 前方部
- 長さ:62メートル
- 高さ(主軸上):5.5メートル
- 高さ(側面):9.5メートル
- くびれ部
- 幅:43メートル
傾斜面に築造されているため基底高は後円部・前方部で同一ではないが、絶対高は後円部が1メートル高いだけになる[2]。前方部は後円部と同程度まで発達した形態を示す[2]。
-
後円部墳頂の盗掘坑
手前右に石室残存石材。 -
後円部から前方部を望む
出土品
発掘調査で確認された出土品は次の通り[2]。
- 第1主体
- 碧玉製管玉 1
- 短甲片 27片
- 第2主体
- 龍虎鏡 1面 - 舶載鏡。
- 刀 6口
- 斧頭 1
- 勾玉 6
- 棗玉 1
- 管玉 67
- 白砂敷部分
- 刀 1口
- 鶏形埴輪の頭部破片
そのほか墳丘から採集された埴輪として、円筒埴輪・朝顔形埴輪および楯形・短甲形・錣形・鶏形などの形象埴輪がある[2]。
文化財
国の史跡
- 北山古墳 - 1980年(昭和55年)6月3日指定[2]。
関連施設
- 倉吉博物館(倉吉市仲ノ町) - 北山古墳・北山27号墳の出土品を保管。
脚注
参考文献
- 史跡説明板
- 小林三郎「北山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「北山古墳」『鳥取県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系32〉、1992年。 ISBN 4582490328。
- 「北山古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
外部リンク
- 北山古墳_(湯梨浜町)のページへのリンク