北国郡代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:19 UTC 版)
寛政の改革では北国郡代を新設して北方の防備にあたらせる計画が立てられた。定信は、みずから伊豆、相模を巡検して江戸湾防備体制の構築を練り、江戸湾防衛の為、奉行所を伊豆4ヶ所、相模2ヶ所に設置することを唱えるのと同時に、蝦夷地に渡航するための陸奥沿岸の要衝である三馬屋を天領とし、そこに大筒を配備し「北国郡代」を設置する計画を立案した。さらに、そこにはオランダの協力の元に建造した洋式軍艦を配備しようとした。しかし、このような海防強化計画は提案者である松平定信が老中辞職と共に立ち消えになった。
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