勝民子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 勝民子の意味・解説 

勝民子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 13:43 UTC 版)

勝 民子(かつ たみこ、1821年3月16日文政4年2月13日[1]) - 1905年明治38年)5月23日[1])は、江戸時代末期から明治時代の女性。勝海舟の正妻。薪炭商兼質屋・砥目家の娘。元深川芸者との説あり。

略伝

勝の妾とその子供たちと同居であったが、民子は異腹の9人の子供を分け隔てなく可愛がり、屋敷の人々から「おたみさま」と呼ばれて慕われた。

民子は遺言で「勝のそばに埋めてくださるな。わたしは小鹿のそばがいい」と言い残したが、遺言の希望は聞き入れられず、養子のの一存で海舟の隣に葬られた[2]法号は大慈院殿妙海日深大姉。

子女

  • 長女:内田夢(1846年 - ?) - 内田誠故と結婚[3]
  • 次女:疋田孝子(1849年 - ?) - 疋田正善と結婚[3]
  • 長男:小鹿(1852年 - 1892年)
  • 次男:四郎(1854年 - 1866年)[4]

脚注

  1. ^ a b 平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.424
  2. ^ 船戸安之 1973.
  3. ^ a b 松浦玲 2010, p. 904.
  4. ^ 石井孝 1974, pp. 261, 270.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  勝民子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝民子」の関連用語

勝民子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝民子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勝民子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS